やる気のセミナー (っ`Д´)っ
2005年3月19日今日、やる気うんぬんのセミナーに行った。
いくのがためらわれたが、ボランティアだったのでしぶしぶの参加だった。
「やる気」を起こすセミナーかと思ったのだが、違った。
講師の方(男性)の経験(子育てとうつ病)からできあがった教育方針についてのセミナーだった。
今、やる気がない私にとってこころにストーンと落ちてくる内容だった。
やる気を起こす起こさないということと、やるということは別。
やる気があることをやり続けるのは当たり前のこと。
だけど、やる気がなくなっている状態でやる続けることで何かにきづく。
人それぞれだと思うが、『こんなに自分てできないんだー』『できたー』『壁ができて当たり前、そしてそれを乗り越えられた』などなど。
だから、やる気がなくなった時はラッキーな時なのだ。
できたという確信はやり続けている途上で、ある時それは『訪れる』。
やることが『確信』につながるのだ。
できないからやり続けたことで、いつのまにかその道のエキスパートになってたりする。
『生きる』ということはできないことをし続けること。
教育の一番大事なことは、大人の駄目な姿・失敗している姿をみせることらしい。
そして、子供を一人の人間・大人として扱う。
そうそう、あと『評価しない』『目標を持たない』『疑似空間を作らない』というのもある。
疑似空間を作らないというのは、
親「学校にいくの?いかないの?」
子「いかない」
親「なんでいかないの!(怒)」
つまりだだ“聞いている”状態に過ぎないのだ。
そして、誉めるおだてるなどでやる気を起こさせることは、してないそうだ。
今は枠にはまらない子が多くなっている。つまり言うことを聞かない子だ。
でも子供は子供の考えしかもててない訳ではなく、きちんと自分の判断力を以外と持っている。
確かに、それを大人が見下している気がするわ。
私は誉められることが比較的多くて育ったのだが、とても居心地の悪さを感じていた。
誉めれたその要因が私にとっては当たり前の、特に努力もしていない状態で起こったことだったしね。
そして、誉められないということは不安も感じるのだ。でも親や他者が子供を誉める要因って社会的概念が元になっていることがおおい。点数がよかったとか。他の子よりよくできたとか。早く走れたとか。誉められるように行動をする子に育つのだ。私も誉めることが子供の成長に一番よいと思っていたが、自分を顧みて、もしかしたら違うのかもしれないと思った。子供が居心地のよい、素直自分自身でいられる環境つくりをするのが、周囲の役目なのかもしれないな。
今年になって、親の目・社会の目に触れずに隔離されている生活を送っているので、一枚一枚自分の殻を外して、自分の本質を見つつある。そういった時にとても興味のある、自分に当てはまるお話を聞くことができてとてもうれしい。
必要なものは必要なだけやってくる。
数年前までの私は先の先の先の先を考えて生きてきて少々お疲れ気味だった。今日の話をきいて、より一層考えずに、目標をもたずにやっていくのもいいなー。
できないからやり続けたことで、いつのまにかその道のエキスパートになってたりする。
『生きる』ということはできないことをし続けること。
これを私の興味がある分野に対してやっていこー。
今日、聞いたことはもうちょっと自分の中で熟成させる必要があるが、なにか心が軽くなった気持ちがした。
いくのがためらわれたが、ボランティアだったのでしぶしぶの参加だった。
「やる気」を起こすセミナーかと思ったのだが、違った。
講師の方(男性)の経験(子育てとうつ病)からできあがった教育方針についてのセミナーだった。
今、やる気がない私にとってこころにストーンと落ちてくる内容だった。
やる気を起こす起こさないということと、やるということは別。
やる気があることをやり続けるのは当たり前のこと。
だけど、やる気がなくなっている状態でやる続けることで何かにきづく。
人それぞれだと思うが、『こんなに自分てできないんだー』『できたー』『壁ができて当たり前、そしてそれを乗り越えられた』などなど。
だから、やる気がなくなった時はラッキーな時なのだ。
できたという確信はやり続けている途上で、ある時それは『訪れる』。
やることが『確信』につながるのだ。
できないからやり続けたことで、いつのまにかその道のエキスパートになってたりする。
『生きる』ということはできないことをし続けること。
教育の一番大事なことは、大人の駄目な姿・失敗している姿をみせることらしい。
そして、子供を一人の人間・大人として扱う。
そうそう、あと『評価しない』『目標を持たない』『疑似空間を作らない』というのもある。
疑似空間を作らないというのは、
親「学校にいくの?いかないの?」
子「いかない」
親「なんでいかないの!(怒)」
つまりだだ“聞いている”状態に過ぎないのだ。
そして、誉めるおだてるなどでやる気を起こさせることは、してないそうだ。
今は枠にはまらない子が多くなっている。つまり言うことを聞かない子だ。
でも子供は子供の考えしかもててない訳ではなく、きちんと自分の判断力を以外と持っている。
確かに、それを大人が見下している気がするわ。
私は誉められることが比較的多くて育ったのだが、とても居心地の悪さを感じていた。
誉めれたその要因が私にとっては当たり前の、特に努力もしていない状態で起こったことだったしね。
そして、誉められないということは不安も感じるのだ。でも親や他者が子供を誉める要因って社会的概念が元になっていることがおおい。点数がよかったとか。他の子よりよくできたとか。早く走れたとか。誉められるように行動をする子に育つのだ。私も誉めることが子供の成長に一番よいと思っていたが、自分を顧みて、もしかしたら違うのかもしれないと思った。子供が居心地のよい、素直自分自身でいられる環境つくりをするのが、周囲の役目なのかもしれないな。
今年になって、親の目・社会の目に触れずに隔離されている生活を送っているので、一枚一枚自分の殻を外して、自分の本質を見つつある。そういった時にとても興味のある、自分に当てはまるお話を聞くことができてとてもうれしい。
必要なものは必要なだけやってくる。
数年前までの私は先の先の先の先を考えて生きてきて少々お疲れ気味だった。今日の話をきいて、より一層考えずに、目標をもたずにやっていくのもいいなー。
できないからやり続けたことで、いつのまにかその道のエキスパートになってたりする。
『生きる』ということはできないことをし続けること。
これを私の興味がある分野に対してやっていこー。
今日、聞いたことはもうちょっと自分の中で熟成させる必要があるが、なにか心が軽くなった気持ちがした。
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